カンセイ・ド・アシヤ文化財団カンセイ・ド・アシヤ文化財団

NEW RELEASE 「Profonde」のお知らせ

長きにわたりフランスで研鑽を積んだ、薫り立つフランス・エスプリ。溜息の出るようなロマンティシズムとソット・ヴォーチェの至芸を聴く。

フランスの3大音楽学校であるパリ国立高等音楽院、リヨン国立高等音楽院、パリ・ エコール・ノルマル音楽院にてフランス本流のピアニズムを極めた伊藤順一のデビューアルバムです。ショパン、ラヴェル、ドビュッシー、フォーレという今まで伊藤が長きにわたり磨き上げてきた作品に発露されるそのフランス・エスプリ、究極のピアニシモ、千変万化する音のうつろいは聴く者を天上の世界へと誘います。その至極のフランス・ロマンティシズムをお楽しみ下さい。

2021年12月8日発売予定 MECO-1068 定価¥3,000+税
POS : 4562264260720 SACD ハイブリッド盤
レーベル:アールアンフィニ
企画制作:ソニー・ミュージックダイレクト
発売:ミューズエンターテインメント
録音:2021年6月7日 & 8日

※各購入サイトへ移動します。

収録曲目

ショパン

  • 舟歌 嬰ヘ長調 作品 60
  • ノクターン第 17 番 ロ長調 作品 62-1
  • スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54
  • マズルカ 第11番 ホ短調 作品17-2
  • マズルカ 第13番 イ短調 作品17-4
  • バラード 第2番 ヘ長調 作品38
  • マズルカ 第14番 ト短調 作品24-1
  • マズルカ 第15番 ハ長調 作品24-2

ラヴェル

  • 9クープランの墓〜 第5曲メヌエットト長調

ドビュッシー

  • アラベスク第1番 ホ長調
  • アラベスク第2番 ト長調

フォーレ

  • 夜想曲第4番変 ホ長調 作品36
  • 夢のあとに ロ短調 作品 7-1(アルトゥーロ・ルツァッティ編曲)

*ショパン:マズルカ第 17 番 変ロ短調 作品 24-4(CD 未収録/配信専用トラック)

デビューアルバムに寄せて

この度、デビューアルバム「プロフォンド」のリリースにあたり、ご尽力頂いた多くの方々に御礼申し上げます。 「プロフォンド」とはフランス語で、深みや奥行きのある、また心底からのという意味があります。奥行きのある立体的な音作りを常に考えながら、心底から好きなショパンとフランス作品を収録しました。

私自身、ショパンの作品には幼い頃から触れてきましたが、その作品を愛する気持ちや、作品を通して覚える感銘は年々増しています。とりわけ美しいメロディーや和声に感心することはもちろん、感情を荒げなくとも内に秘めた熱い想いを感じられるショパンの音楽に心を打たれます。ショパンが過ごしたそれぞれの場所で作られた曲と共に、彼の心に常にあった祖国への深い愛情、各地で過ごした穏やかな日の思い出などを感じ取って頂ければ幸いです。

アルバムの後半ではフランスを代表する3人の作曲家を取り上げましたが、フランス作品はどれも色彩が非常に豊かで、音から色や絵画、景色を容易に連想させます。私は8年間にわたりフランスに留学していましたが、ラヴェル、ドビュッシーが暮らした家に足を運び、作曲家本人が弾いていたピアノに触れたり、家の細かな装飾や周りの風景を感じたり、影響を受けた絵画や思想にも多数触れることが出来ました。このような経験からフランス作品にも積極的に取り組んでいます。

世界の状況や考え方が大きく変わりつつある今、何百年と変わらず受け継がれてきた美しいピアノ曲で、少しでも安らぎを得て頂けたら嬉しく思います。 最後になりますが、これまでご指導下さった先生方に心より感謝申し上げます。

2021年秋 伊藤順一

伊藤順一 デビューアルバム「プロフォンド」に寄せて-

和魂洋才、君子のピアノ

地球規模のパンデミックに鬱々とする世情に、清新な音楽の息吹をもたらす演奏家の登場を喜びたい。伊藤順一。フランスで長く研鑽を積み、齢而立(よわいじりつ)のピアニストの演奏を、まずはアールアンフ ィニ・レーベルによる素晴らしい録音で堪能して頂きたい。伊藤順一の演奏に触れて、繊細な弱音表現の見事さと、細やかな音色のコントロール、思わずため息を誘うゆたかな音の表情に感銘を受ける人は多いと思うが、彼独自の美しいピアニシモ、的確丁寧な音色の使い分け、そして深いカンタービレは、このアルバムにも満ちている。

アルバムは彼自身の解釈と表現を確立しつつある、聴き応え充分のショパンの作品と、搾りたてのフレッシュな白ワインを思わせるフランス音楽作品から構成されている。そこには、伊藤順一というピアニストの演奏の中核を成す部分は、既に顕れているように感じられる。Cantabile Profonde。一音奏でる毎に、聴き手の心の内奥へ深く入り込んでいくような訴求力のある、ゆたかな「うた」の響きである。世に「歌う」 ピアノを持ち味にする弾き手は少なくないが、伊藤順一の Cantabile はそれらとは一線を画す。どこか日本の古典芸能にも通じるものを感じさせる「呼吸」から生まれるそれは、彼独自のものであり、不思議な魅力で聴く者を惹きつけてやまない。

伊藤のCantabileについて思いを巡らす時、彼の演奏を初めて直に聴いた日のことを思い出す。どこにも力みなく、体全体を自然に使って奏でられるショパンの「舟歌」を聴きながら、私の脳裏に浮かんだのは水都ヴェネツィアではなく、かつて奈良の寺で書家が大襖に禅語をしたためる場に居合わせた時の記憶だった。背丈に近い大筆を身に添わせ、巨大な紙面の上を舞うように揮毫(きごう)していく、あの時の書家の動きとエネルギーの質が似ている、と思った時、このピアニストは「呼吸」によって演奏しているのではないか、と感じ至った。

息の吸い吐きでリズムをつくる演奏家は少なくない。が、伊藤のそれはもっと重要な役割を果たしているように見えた。さりげない、しかし確かな吸気と呼気の切り替えが生む、リズムの緩急とフレーズのメリハリ。そこに、弾き手の精神の深いところから、言葉になる前の情動が汲み上げられて流れ込み、確かな演奏テクニックと多彩な音色のコントロールを経て、まさに「弾き手とピアノが一体となって響き、歌っている」 Piano Chantant を実現する。気づけば、いつしか奏者の呼吸に合わせるように、会場全体が一つの呼吸となり、ピアノから繰り出される音の振動に身を委ねていた。自らの呼吸(いき)と体を通して、聴衆を含めた会場空間全体をも共鳴させる稀有な演奏をするこのピアニストに、書家の呼吸を連想したと伝えたら、ちょっと驚いたような微笑みと共に、そのようなことを言われたのは初めてだ、との答えであった。

実際、伊藤の場合、音楽家としての学びの面では、経歴からも窺えるようにフランス留学が少なからぬ影響を与えているであろうし、演奏会の際の彼自身による曲目解説などからは、楽曲分析の確かさや、徒(いたずら)に奇を衒わない「地に足のついた」解釈に基づいて演奏していることが垣間見える。彼が感覚や勢いだけで「弾き飛ばしてしまう」タイプのピアニストからは程遠い、冷静着実、かつ丁寧な弾き手であることは、例えばこのアルバムに収録された「スケルツォ第4番」や「バラード第2番」の演奏からも明らかだろう。

その意味で、なおさら、伊藤順一というピアニストは真の意味での「和魂洋才」を体現した稀有な才能の顕れである、と感じざるを得ない。このアルバムの最後を飾るフォーレの「夢のあとに」を聴く度に、その思いは新たになる。終盤の“Hélas! Hélas, triste réveil des songes”(あぁ、あぁ、なんという悲しき目覚め)という哀切な歌詞が、ピアノそのものの「声」で“Hélas!”と絞り出すように「歌われる」のを聴く時、彼の演奏家としての学びの蓄積の確かさを想う。同時に、最後の消えゆくピアニシモが、恋人の幻を追う男の悲哀と絶望をどこまでも丁寧に表現する様(さま)に、フランス語の歌詞には含まれていないはずの「や まとごころ」の水気(すいき)―消える寸前のところで響き続ける弱音の連鎖に、歌舞伎舞踊「保名(やすな)」の幕切れが重なって見えた―も滲み出ているように感じられるのだ。

フランス留学から完全帰国して日が浅いこともあるだろうが、伊藤は、意外なほどに日本国内では未だそれほど知られていない。しかし、静かに微笑みながらピアノの前に座る彼の姿を見ていると、「桃李不言下 自成蹊」(桃李もの言わざれど下(した)おのずから蹊(けい)を成す)という『史記』の一節を思い出す。 桃や李(すもも)は何も言わないが、実が美味ゆえに人が集まり、その下には自然に道ができる、すなわち 君子の元には自然と人が集まる。和魂洋才の稀有な魅力を備えた伊藤のピアノは、やがてその果実の美味を知る多くの聴き手を集めることだろう。瑞々しい音楽の若木が枯れることなく、ますます実り豊かに成長していくことを心から願い、祈りつつ、拙文の筆を擱く。

2021年秋 山田良

伊藤順一 TOPページに戻る

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。