こんにちは。代表理事の山田です。スギテツさんのこと、第2弾です。
世の中には、本当に様々な芸術表現が溢れています。星の数ほどあるそれらの表現を、これまたそれぞれにお好みの受け手がいて。まさに「十人十色」「百人百色」「千人千色」の好みの世界が展開されているのが、現代といえるでしょう。当然、ある人にとっては琴線に響くものが、別の人にとっては何も感じないものであったりすることは多々あるわけで。
その点で、己の好みを他人に押しつけても、あまり意味のないことになる、といえるかもしれません。
ただ、ひとつ、こういうことも言えるように思います。
本当に追いつめられた時、人は「本気で創られたもの」に反応するようになる。
普段、日常生活を何の気なしに過ごしている時には、それなりに楽しんでいたものが。いざ「非常事態」に陥り、心身共に追いつめられた時。何がそれほどよかったのか、と思うことがあります。今日ただ今、必死で時間を生きている自分にとって、危機感のない時空間では楽しんでいたものが、途端に色あせて見える。
その一方で、追いつめられた状況の中で、にわかに生彩と輝きを増してくるものがあります。
創り手が120%の力を出して創っているもの、己の極限までかけて生み出したもの。本気で創り出したもの、に、非常事態の中でイヤでも「本気」を出さざるを得なくなった、こちらの心理状態が感応・呼応するのかもしれません。
全く私事になりますが。
何の因果か、これまで、身内が私の目の前で倒れ、そのまま意思の疎通が非常に難しい状態で数年を過ごしたのち、見送る、という体験を繰り返すことをしました。(そのせいもあってか、私自身は、今日ただ今の平穏な状況は、いつ何時、映画のフィルムがぷつりと途切れるかのように終わっても何ら不思議ではない、という認識を、いつしか、持つようになりました。それゆえに、今日ただ今の瞬間瞬間を、できうる限り楽しみ、愛おしみたい、と思うようになりました)
身内が倒れる、というのは、体験された方は首肯していただけると思いますが、生活の様々な面が一変しますね。倒れた本人が大変なのは当然でしょうが、家族もまた本当に、心身共にぎりぎりのところまで張り詰め、疲弊することが、ままあります。
そんな時。
違うかたちで、「極限」と向かい合っている人間が創ったものが、琴線に触れてくるように思います。
私の場合、それはオリヴィエ・メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」と、スギテツのCDでした。
(画像2点ともお借りしました)
20世紀のフランス音楽を代表する巨匠が、従軍時、ドイツ軍の捕虜収容所(Stalag VIII-A)で、極限状態の中、作曲した四重奏曲と、現代日本に生きる、笑いと鉄道を愛するピアニストとヴァイオリニストのデュオが生み出す冗談音楽。
(ゲルリッツのStalag VIII-A(第8A捕虜収容所):画像お借りしました)
(スギテツCDリーフレットより。画像お借りしました)
あまりに違いすぎるだろう、と言われるかもしれません。
しかし、私は、どちらの音楽にも、それぞれのかたちで、「救われ」ました。
それは、どちらの音楽にも、「本気で創っている」人間の力を感じたからだと思います。
後で、複数の人から、自分も「追いつめられた時」にスギテツを聴いていた、という話を聞きました。
「入院中、しょっちゅうスギテツ聴いてたわ。手術の直前までずっと。退院してからも。あ、もうアカンかなあ、と思う時でも、聴いてたら、笑ってる自分がいるのよ。そうしたら、気持ちがふっと緩んで、どうにかなるかなあ、と思えるようになった」
「もう、なにもかもしんどい、と思った時、スギテツのCD聴くと、思わずクスッと笑えて。気持ちが緩んで、がんばれた。その一方で、どこか感動?というか、単なる息抜きじゃないものも感じて。笑った後で背筋が伸びる感覚」
「冗談音楽だけど、本気でやってる冗談、と感じる。だから、笑わせられるだけじゃなくって、その後、自分もがんばろう、と思える」
このように、スギテツの音楽には、毎日の生活の中で楽しむ人と、しんどいときに救われた、という人、両方がいます。
「本気の冗談」を仕掛けるスギテツ・ジョークの音楽世界を、9月16日、体験しにいらして下さいませ。