こんにちは。代表理事の山田です。
今日のお話は、私事に関わるので、財団の公式ブログの話題に採り上げてよいものか、いささか迷いましたが、当財団にとっても、小さくない節目になることですので、書くことにいたしました。
本日は、山田 忍(やまだ しのぶ)の三回忌法要の日でした。
1934年(昭和9年)大阪生まれ。2016年(平成28年)に亡くなるまで、プロ・ピアニストとして、演奏・教育・執筆活動に邁進し続けた人です。
終戦後間もなくの、焼け野原になった大阪の地で、フランスから来日したピアニスト、アルフレッド・コルトーの演奏を聴き、その場で師事を決意。家族や親戚の中に音楽関係者や演奏家は皆無であり、中学生になるまで自宅にはピアノがなく、バイエル教本の巻末に付いている紙製の鍵盤で練習していたそうです。神戸女学院大学音楽学部を卒業後、すぐに渡仏。コルトーが校長を務めるエコール・ノルマル・ド・ミュージック・ド・パリに入学、卒業。当時の日本では、取り組む演奏家がまだまだ少なかった、近現代フランス音楽を主なレパートリーとして精力的に演奏活動を始めました。
世界37カ国を複数回にわたり演奏旅行する傍ら、大阪に文部省(当時)認定専修学校として「関西ピアノ専門音楽学校」を設立。以来、数百名の卒業生を送り出し、自身は40歳代での脳大動脈瘤破裂という大難を乗り越え、83歳まで現役ピアニストとして活動を続けました。定期リサイタルはもっぱらサンケイホール(現サンケイホール・ブリーゼ)で。必ずしも一般受けするレパートリーではないにも関わらず、多くのファンに支えられ、演奏家としては大変幸せな人であったと思います。
フランスとの御縁深く、芸術と教育面での貢献ということで、かの国から3つの勲章をいただいてもおりますが、本人もフランスという国に深い親しみと愛着をもっていたようです。関西ピアノ専門音楽学校も、エコール・ノルマル・ド・ミュージック・ド・パリと同じシステムで、音楽を集中的に勉強できる専門教育機関を目指しての設立でした。また、現在ではほとんど日本国内では唯一になった、フランス音楽に特化したコンクール「日仏音楽協会=関西主催 フランス音楽コンクール」の主要設立メンバーでもあり、理事長・事務局長として晩年まで仕事を続けました(コンクールは、当財団が筆頭後援団体としてサポートをしながら、引き続き日仏音楽協会=関西による運営で開催を続けております。詳しくはこちら→第48回フランス音楽コンクール)
この、山田 忍という演奏家/教育者が行なってきたことを引き継いだのが、当財団、一般財団法人カンセイ・ド・アシヤ文化財団になります。
本日、彼女の三回忌法要を、旧関西ピアノ専門音楽学校校舎にて執り行いました。
快晴の秋の陽の中、故人に所縁の深い血縁者・友人・知人・門下生の皆さまが多数お集まり下さり、しめやかな中にも大変和やかな空気で、無事法要を終えることができました。この場にて、改めて心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
既にご存じの方も少なくないと思いますが、山田 忍は、私の実母でもあります。天衣無縫、闊達陽気な気性。その一方で、たとえ身内であっても、演奏家の道を選ばなかった人間には、その内奥を伺い知ることを許さない、芸術家としての横顔ももっていました。色々な意味で型破りな母でした。おそらく今生全てをかけても、彼女を理解しきることは不可能だと思います。
故人が端緒を開き、先鞭をつけ、進めてきた、音楽や教育・文化事業を、私たちができうる限り、ベストのかたちで引き継ぎ、発展させていきたい。その思いが、当財団の誕生に繋がりました。その意味で、今日の三回忌法要は、当財団にとっても、一つの大きな節目となりました。今までの御縁、これから繋がっていく御縁をそれぞれ大切に、「あの財団がやっていることなら」と信頼していただき、協力していただき、そしてなによりもご一緒に楽しんでいただけますよう、精進して参ります。
また、お立ち寄りくださいませ。