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コンサートレポート:北口大輔チェロリサイタル@豊中市立文化芸術センター小ホール

昨日2月4日(火曜日)、大阪は豊中市立文化芸術センター小ホールにて、日本センチュリー交響楽団の首席チェロ奏者 北口 大輔さんのリサイタルに伺いました。

多くのファンがおられる北口さん、既に素晴らしい印象記やステージ・レポートが各種SNSにアップされているので、今更に一文を寄せさせていただくのは憚られます。しかしながら、昨年来、いくつかの御縁を経て北口さんのファンの仲間入りをした者として、昨日の感動が新鮮なうちに書き留めておきたく、以下小文を綴ります。

〈楷書MASTERの自在パフォーマンス〉

昨夜のステージの北口さんの演奏を一言で表現しようとした時に、このような言葉が浮かびました。

開幕して、ご自身の手による「キラキラ星変奏曲」の後に、MCで仰ったこと。
「チェロという楽器は、弦楽器の中でもポテンシャルが高い。ヴァイオリンは高音域ばかりで低音が出せないし、コントラバスは低音域で高音に制限がある。その点、このチェロという楽器は、本当に可能性が大きいと思う。自分は、チェロという楽器の可能性を極限まで探求したい。クラシックの真髄を究めたい、と思うと同時に、この楽器が出せる音、この楽器ができるパフォーマンスをどこまでも探ってみたい」という内容であったと記憶します。そして、この夜のステージは、まさにこの言葉を体現するものだ、と感じました。

演奏技術はもちろんのこと、曲の解釈、表現、どれをとっても、クラシックのチェロ奏者として揺るぎない実力をお持ちの北口さん。その一方で、チェロという楽器と「どこまでも遊んでみたい」という、まるで子供のように、自由でとらわれのない姿勢で演奏を楽しんでおられる姿が印象的です。クラシック音楽との対峙を揺るがせにしないからこその、自由で大胆な奏法、表現。それは、書道で基本、正調とされる楷書をきちんとモノにして初めて、草書、行書といった自由な書体を扱えるようになるのに通じるようにも感じました。「キラキラ星」や「LVB9」のようなオリジナル・ピースを聴きながら、端正な楷書が、不意に草書体に、行書体に、時にはどこにもプロトタイプの存在しない、完全にオリジナルな書体にと、自由に変化する様を、音を通して見せていただいているようで、その妙味を楽しんでいるうちに、またたくまにプログラムが過ぎていったように思います。

鈴木 潤さんとの軽妙な第一部の後、第二部では古典から近現代作品を、本呼吸(ほんいき)でじっくりと。ファリャの「7つのスペイン民謡より」が始まった時、北口さんの表情がグッと引き締まられたのが印象的でした。一つ一つの音の表現、間の取り方に神経を張り巡らせておられるのが客席にいても感じられるような。そして、このファリャや、ヴィラ=ロボスを聴きながら、一見大胆に聞こえる奏法も、実は彼らの作品の中に既に萌芽があり、現代を生きる奏者は、それらをさらに自分の表現として磨き、ヴァリエーションをかけ、新しいものにしていくのであって、北口さんはまさにそれをなさっているのだなあ、とも。

「型を会得した人間がするのを「型破り」と言う。そうでなければ、ただの「形無し」なんだ」
18代目中村勘三郎が、無着成恭のコメントから着想したアイデアと言われ、平成の名優の名言として有名になりましたが、昨夜の北口さんのリサイタルは、その意味で、まさに「型破り」でした。それも、プログラム全体を通して、ほどよく「大人」なmoderation(節度)が効いた、素敵な「型破り」。キーボード、ピアノのお二人とのコラボレーションも、客席の心を温かくしてくれるものでした。「こんなリサイタルがあっても、たまにはいいでしょう」と仰っておられましたが、「たまに」と仰らず、ぜひ定期的に!心から期待しております。

最後に。

リサイタルに伺うと、特に感じることですが、奏者のお人となりが、客席や会場の雰囲気を通して伝わってくるように思います。

昨夜は、開演前にロビーで、高校生くらいの男の子たちが3名、購入したばかりらしい「キラキラ星変奏曲」の楽譜を見ながら、
「ここ、難しいなあ。どうやって弾くん?」
「たぶん、こうやったらできると思う」
「わからん」
「今度、北口センセに訊こう」
というやりとりから、おそらくチェロの生徒さんたち?
客席では「北口先生」「大輔さん」「北口さん」「ダイスケ」などなど、様々な呼び名で話題に上っている北口さんでした。皆さんがそれぞれにこのヴィルトゥオーゾを心から愛しているのがわかる、和やかな空気が感じられて、二重に良い気分にさせていただいたひとときでした。